久々の更新。
今回は、現地採用が批判されやすい理由を考えてみた
現地採用という働き方、生き方については賛否両論ある。
さまざまな理由があっての批判であろうが、
背景には、①人と違うこと=悪 の同調圧力、②他責思考が背景にあると思っている。

現地採用として採用されること自体、そんなに難しいことではないが、現地採用を選ぶということにハードルがある。
言ってしまえばフリーター、FIREと同じようなもの。※FIREに関しては難易度が高いが。
少しやってみたいという気持ちはあるが、通常では怖くて手が出せない。
そして、やらない理由として、社会の規範(安定、家族)や常識を持ち出す。
自身の状況を正当化をする。
一歩踏み出し、一抜けした人間は批判の対象になる。
例
正社員として安定した生活を送るのが常識、海外に行きたいなら駐在で行くべきだ。
国民全員がFIREしたら社会が回らない、社会人として責任を果たすべきだ。
思い当たる節はあるだろう。
有名な言葉がある。
イギリスのトマス・ホッブズ(Thomas Hobbes)の唱えた【万人の万人に対する闘争】だ。
簡単に言えば、人間は利己的て、規範のない自然な状態にすればそこらで闘争が起きる。それでは社会が破綻するので、悪という存在を決めて、それを制限することで秩序を構築したというもの。
筆者はこれを無理やり、現地採用を当てはめてみたのだが、納得感はある。
皆が現地採用、FIREという選択をしてしまうと、日本を支える正社員が少なくなる。
なので、それらを外れたもの、悪に近いものとして捉える。
現地採用で首になっても、海外で病気で働けなくなって路頭に迷っても、それは自己責任。
自分達は日本での正社員という立場を選んで安定や福祉を手に入れたのだから、現地採用を選んだ方に問題がある。と。
同時に他責性もあるのだと思う。
現地採用には海外で働けるという利点とともに不安定さ、キャリアのリスクがある。
勇気が出ず一歩踏み出せない時、同調圧力に屈して現場で周りと同じように生きていくことで、自身の選択の責任を取らなくてよくなる。
あくまで、常識的に正しいほうを選んだのだと。
ただ、誰も自分の人生には責任をとってくれない。日本での正社員を選んでも、選択した責任は自分にある。
ブラック企業を選んだのは自分、海外に行かない選択をしたのは自分、というように。

ここまで長々と書いてきて結局何が言いたいのか。
別に現地採用を進めるわけではない。人には向き不向きがあるし、現地採用には日本での正社員に比べリスクが高いのは確かだ。
だが、自分の人生に対して選択をする権利があるのは自分で責任を取るのも自分。
誰も責任は取ってくれない。
なので、自分に対しては真摯に向き合って、本当に納得できる選択をしてほしいということを伝えたい。
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